ひとことで言うと
社会は人の集まりであり、社会常識は一人ひとりのアイデンティティの集約です。自分のアイデンティティと、社会常識は、どちらも本来的なものではなく、どちらが正しいとか、どちらが間違っているとかはありません。
詳しく言うと
数十万年前に人類が誕生したときから、人は群れを作って生き延びてきました。体が小さく力も弱いので、自然界で生き残るために、群れる本能が必要でした。
現代でも、人は群れ(=社会)を作って生きています。人は本能的に群れるので、意識することなく社会に所属し、社会のメリットを享受しています。
社会には常識や価値観やルールなどがありますが、これは社会を構成する一人ひとりのアイデンティティの集約です。他人のアイデンティティとも言えます。
アイデンティティは、本来的なものはそもそもなく、一人ひとりが勝手に見出して信じるものですから、自分のアイデンティティも、他人のアイデンティティも、ひいては社会の常識や価値観やルールも、どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、どちらが良いとか、どちらがだめ(悪い)とか、そういうのはありません。
例えば、社会のルールでは、子供は学校に行くことになっています。学校に行けばいろいろ学べてメリットが多いです。しかし、学校に行くことは本来的なルールではないのですから、いじめなどで、学校に行くのが辛いのならば、学校に行く必要はありません。
社会からはメリットを得られますが、社会は苦悩の元にもなります。次は『社会からの苦しみ』を読んでください。
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