ひと言で言うと
人が生きていくためには、 アイデンティティー(生きる意義、目的、価値や生き方)を、自分で勝手に見い出して信じる必要があります。
くわしく言うと
本来的な生きる意義、目的、価値や生き方はそもそもない(説明は こちら)のですから、ただ淡々と生きたら良さそうなものです。
ところが、人は淡々と生きるのは苦手です。人は一つの方向に向かって迷わず進むという本能があります(群れがまとまるために必要な本能です)。方向を決めるのは生きる意義、目的、価値や、生き方です。人は、本能的にそれを求めてしまいます。
しかし、 本来的な生きる意義、目的、価値や生き方は、そもそもありません。どんなに考えても本来的な答えは得られません。
一方、人は分からないこと分からないまま放置することが苦手です。分からなくても「答えを無理やり見い出してしまう」のが人の本能です。 また、人は「こうであって欲しいと願ういうことを、正誤に関わらず信じてしまう」という本能もあります。
結局、 生きる意義、目的、価値や生き方を、勝手に見出して信じるのが人の本能です。本来的なものはそもそもないので、それが正しいとか、正しくないとかはありません。人それぞれのものです。
人それぞれ
人それぞれの、生きる意義、目的、価値や生き方、さらには、行動規範、軸、居場所、生きがい、生き様、といったものを、まとてひとくくりにしたのが、アイデンティティーという言葉です。
アイデンティティーは、本来的なものではなく、人がそれぞれに勝手に見い出して信じているだけです。しかし、これは本能によるものなので、人にとって大切なものです。これを見失うと、生きていくことが困難になることすらあります。人が生きていくためには、 アイデンティティーを、勝手に見い出して信じる必要があります。
例えば、子供の成長が生きがい(=意義、目的)という人は多いと思います。それが生きがいだと信じることができます。その生きがいによって生きていけるのです。
好き
次は、アイデンティティの土台となる『好きという気持ち』を読んでください。
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