本能

本能とはどういうものなのか、人の本能はどんなものなのか、本能から生まれる悩みについて考えてみます。

<本能とは>

野生動物は環境に適した行動をします。頭で考えて適切な行動を選択しているのではありません。野生動物は、心地よいと感じる行動しかしません。適切な行動をすると心地よく感じる、そのように出来ていて、それを本能と呼びます。

誰かがそのように作った訳ではありません。心地よいと感じる行動が、不適切な行動だった動物は、滅んだのです。心地よいと感じる行動が、適切な行動だった動物だけが、生き残ったのです。

本能とは、頭で考えずに心地よいと感じる行動をすると、それが適切な行動になっているということです。

<人の本能>

人も動物なので、環境に適した本能があります。

ここでいう環境とは、人が進化してきた太古の昔(数十万年前)の自然環境のことです。人は、太古の自然環境に適した本能を持っています。その頃、人は狩猟採集生活をしていて、科学技術は発展しておらず、人口は全世界でせいぜい数万人程度でした。人にとって自然の脅威は厳しく、人は自然の脅威に適応するための本能を持ちました。

現代は、農耕生活や産業革命やIT革命を経て、科学技術が発展した巨大な社会(世界人口70億人以上)になりました。社会の変化は急激なものでしたが、人が持っている本能は急には変わりません。人が持っているのは、太古の自然の脅威に適応するための本能で、現代社会に適応した本能ではありません

このずれが、人の悩みの源です。本能であるがゆえに気づきづらい”罠”です。(悩みについては執筆中です)

人には色々な本能があります。それらの本能には、それぞれ太古の時代に必要だった理由と、現代社会とのずれと、悩みがあります。一つずつ考えていきます。

<まとまりたがる>

太古の自然の脅威は厳しく、人は群れを作ってまとまって行動することでそれに対抗しました。個を犠牲にしてでも群れがしっかりまとまることができた集団だけが生き残ってきたのです。人はまとまりたがる本能を持っています。群れがまとまることにつながる行動をすると、人は心地よく感じるようにできています。

・つい仲間と同じ行動をとってしまう(同調)

・自分の考えより、他人の意見を気にしてしまう(感受性)

・声の大きな人に従ってしまう(リーダー、カリスマ)

現代社会では、自然の脅威は少なく、個を犠牲にしてまでも群れがまとまる必要はなくなりました。現代社会では、多様性を犠牲にせず、個々の能力を最大化することが、集団の力を最大化することになります。それができないと他の集団との競争に負けてしまいます。

現代社会で求められることと、人の本能はずれています。このような本能に悩んでいる人は少なくないです。また、いじめや誹謗中傷の要因の一つがこのような本能です。(いじめについては こちら 、誹謗中傷については執筆中です)

<考えたがる>

人は本能として、考えたがります。理屈(原因や仕組み)が分かると心地よいようにできています。2~6歳頃の『なぜなぜ期』の子どもが、何にでも「それはなぜ?」と聞くのは分かりやすい例です。この本能があることで、頭で考え、理屈に沿った行動をしたからこそ、生存競争に勝ち残り、そして文明が発展したのです。

<結び付け、比較、評価>

人は本能として、色々なものを結び付けたがり、比べたがり、白黒つけたがります。これは科学の考え方です。科学では、二つのものを結び付け、比較し、その意味を解釈します。この本能があったからこそ科学は発展してきました。しかし逆に、関係ないものを結び付けてしまったり、比較しても意味のないものを比較してしまったり、勝手に評価してレッテルを貼ったり、理性的な判断を狂わせてしまうことも多いです。

<マーフィーの法則>

マーフィーの法則とは「洗車をすると、雨が降る」「傘を持って出かけると、雨が降らない」などといったものです(いろいろあるので調べてみてください)。『そういうことって、あるよなぁ』と思ってしまいますが、実際には、洗車をしても、傘を持って出かけても、雨が降る確率は変わりません。洗車と雨や、洗車と傘を、無意識に結びつけてしまっています。人は、関係ないものを結び付けてしまいがちです。

<過去と今>

過去と今に直接の因果関係があることもありますが、それ以外は、過去と今は関係ありません。しかし、人は本能として、過去と今を結び付けてしまいがちです。

<悪いことをしたらバチがあたる>

例えば、他人の物を盗んだ人が、その後に交通事故にあったとします。これは単なる偶然でしょうか? それとも、悪いことをしたからバチがあたったのでしょうか?

どちらも違います。単なる偶然ではありません。また、「悪いこと(窃盗)をした」ことが原因となって、「バチ(交通事故)があたる」という結果が発生したわけでもありません。

社会規範を守ろうとしない人間性の人は、他人の物を盗むことが多かったり、交通ルールを守らなかったりします。結果として、他人の物を盗むような人は、交通事故にあう確率が高くなります。「悪いことをするような人間性の人は、損する確率が高い」というのが正確な記述です。

また、「悪いことをし続けたら、いつかは捕まって罰を受けることになる」というのも正確な記述です。

しかし、人は物事を結び付けたがる本能があり、「悪いことをしたら」と「バチがあたる」を単純に結びつけてしまいます。そして、ぱっと見で関係がありそうなことがあると、深く考えずに「やっぱり、悪いことをしたらバチがあたるんだ」と受け取ってしまいます。

「悪いことをしたらバチがあたる」と結びつけた方が、抑止効果の面ではよいかもしれませんが、これによって苦しむ人もいます。

<再チャレンジ>

「失敗が許されず、再チャレンジできない社会」が問題になることがあります。「(過去に)悪いことをしたら(今)再チャレンジする資格がない社会」という問題です。人は本能的に過去と今を結び付けたがりますが、理性的な判断が狂わせされています。

大切なことは、現時点でチャレンジに必要な資質があるか?ということだけです。例えば、現時点でお金にルーズな人は金融業には向いていません。現時点で衛生面にルーズな人は飲食業には向いていません。初チャレンジでも(現時点で)衛生面にルーズな人は飲食業には向いていません。再チャレンジでも(現時点で)衛生面にしっかりしてる人は飲食業に向いています。過去に食中毒を起こした人が、衛生面について学びなおして、現時点で衛生面にしっかりしていれば、飲食業に向いています。過去に食中毒を起こした人が、何も学びなおさなければ、現時点で衛生面にルーズなので、飲食業に向いていません。

過去と今は関係ありません。失敗を反省することは必要ですし、失敗から学ぶことも必要ですが、反省しても失敗した事実は無くなりませんし、失敗は悪いことのままです。過去は変わりません。大切なのは、現時点で必要な資質があるかどうかということだけです。

を犯したらをうけます。でも、過去は変わりませんを受けてもが消えるわけではありません。が消えなくても、過去と今は関係ありません。大切なのは、現時点でどのような人間性なのかということだけです。

<過去の失敗>

「過去の自分の失敗を許すことができない」と思い悩む人がいます。思い悩むことが反省することだと思っています。反省することで自己肯定感を維持していて、許すと自己肯定感が揺らいでしまい、今を生きていくことが辛くなります。また、自分の失敗を許すことは、自分が失敗したという事実を認めることになります。そして、誰かが「あれは失敗ではないよ」と言ってくれること待っています。

失敗を反省することは必要ですし、失敗から学ぶことも必要ですが、反省しても許しても、失敗した事実は無くなりませんし、失敗は悪いことのままです。過去は変わりません。また、自己肯定感は今と未来に関するものです(自己肯定感については こちら )。過去と今は関係ありません。失敗と自己肯定感は関係ありませんから、安心して失敗は失敗として認め、反省し、そこから学べばよいのです。

<隣の芝生>

「隣の芝生は青い」ということわざがあるように、人は比べる必要がないものを比べたがり、また、それが理性的な判断ではないことも分かっています。本能によるものなので、ついついしがちです。他人と比較してもよいことはあまりないので、比較しないように気をつけてください。

<白黒つけたがる>

人は物事を評価したがります。物事に意味を見いだしたがります。特に、白か黒かという二択単純な考え方をしたがります。複雑な物事を単純に理解するのは、科学としては正しい方向性です。しかし人については、単純化しすぎると、かえって悩みの元になることもあります。

例えば、事件・事故の遺族は、自分が楽しく過ごすと、自分が被害者(親族)を愛していないように考えてしまいます。加害者を許すことは、自分が被害者(親族)を愛していないことだと考えてしまいます。自分が被害者(親族)を愛する行動か、愛していない行動かの二択で考えてしまいます。しかし、愛することと、楽しく過ごすことと、許すことは、別の事柄であり、何でも結び付けたがる人の本能によってそれらが絡まっています。実際には、2 x 2 x 2 の八択です。

また、遺族の人がマスコミにでると、愛しているならそんな行動はしないはずだ、と誹謗中傷する人がいます。マスコミにでることと愛することは、まったく別の事柄です。(誹謗中傷については、執筆中です)

※遺族の方に、あなたの気持ちが間違っていると言いたいのではありません。今感じておられる心情が正直な心情だと思います。ただ、もし苦しんでおられるのであれば、こういう考えかたもあります、少しでもお役に立ててください、という気持ちで書きました。

<現状維持では満足しない>

とても美味しい食べ物を初めて食べたとき、とても嬉しく感じます。しかし、それを二回目に食べた時は、初めて食べた時ほどの嬉しさは感じれないことがほとんどです。三回目、四回目と、嬉しさはどんどん薄れていきます。そして、もっと美味しいものがないかと探すようになります。

また、親しい人との死別は大きな悲しみですが、徐々に慣れていきます。

現在ついて:人は慣れるようにできています。

未来ついて:人は現状維持のままでは満足できないようにできています。

人は、現状維持では満足できませんが、それは悪いことではありません。だからこそ文明や科学が発展し続けてきたのです。野生動物は、満腹な時は狩りをしません。現状維持で満足できないのは人間に特有の本能です。

<愛>

人には、他人を愛する仕組みが本能的に備わっています。人は、大脳が発達しているので、科学知識や知恵を学習することができます。しかし科学知識は本能として遺伝することはありません。科学知識を子孫に与える(伝える)ためには、本能によらないことを他人に与えたくなる仕組みが必要です。愛によって他人に与える中身は、本能によらない物ですが、他人を愛する仕組みは人に備わっている本能です。(愛については こちら

<幸せ>

だれしも幸せになりたいと思います。これは本能です。

お腹がすいたと感じたら、食べたくなります。お腹がすいたら食べたくなる、というのが、本能として人に組み込まれています。ところが、幸せと感じないときには〇〇したくなる、という〇〇が、本能として人には組み込まれていません。〇〇をしたら幸せになる、というのが人には組み込まれていないから、どうしたら幸せになれるのか?と悩んでしまうのです。(幸せについては こちら


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