なぜ生きるのか

初めに

「人はなぜ生きるのか?」と考える時には、「こんなに辛いのに」という言葉がつくことが多いです。また、例えば、学校でのいじめが辛いケースでは、学校でのいじめが辛いと感じるのではなく、生きるのが辛いと感じてしまいます。

でも、辛いのは生きることではなく、辛いのは学校です。やめるのは生きることではなく学校の方です。人には生存本能があり、生きることをやめる様にはできていません。学校には本来的な意味はないので、止めてもかまいません。

学校のいじめ、家庭内暴力、企業でのハラスメント、これらが辛い人は、学校、家庭、企業から逃げだし、生き残ってください。まずはこちらの『心のSOS』を訪れてください。

一方、文字通りになぜ生きるのかを知るためには、このまま進んでください。


ひと言で言うと

本来的な生きる意義、目的、価値や生き方といったものはそもそもありません。ところが、人は本能によって「意義、目的、価値を持った生き方をしたい」と感じてしまいます。

というのは

人はなぜ生きるのか? なぜ、という言葉には、目的(何のため)、価値、意義、仕組み、いろいろな面があります。

比較として、川について考えてみます。川が流れる仕組みは何でしょう? 地形に高低差があり、太陽のエネルギーで水が循環し、それで川が流れます。

川が流れる意義はなんでしょう?川は何を目的に流れているのでしょう? 「川が流れる」のは単なる自然現象の一つです。川はただ流れているだけです。

川はどんな気持ちで流れているのでしょう? 川に気持ちはありません。川はただ淡々と流れているだけです。

 川の意義目的気持ちというものは、そもそもないので、考えることすらできません。

人が生きる仕組みは何でしょう? ビッグバンで宇宙が始まり、精子と卵子が結合して誕生し、老化し、死にます。「人が生まれ、生き、死ぬ」のも単に自然現象の一つにすぎません。

人が生きる意義、生きる目的は、川と同じことです。意義目的もありません。人はただ生きているだけです。

生きること自体に何か本来的な意義があって、だから生きている」と言うわけではないのです。また「生きること自体に何か本来的な目的があって、そのために生きている」と言うわけではないのです。

生きることの本来的な意義、生きることの本来的な目的というものは、そもそもないので、考えることすらできません。

(注:何かのきっかけで「生きていてよかった」と意義を感じることはあります。何かの目的を自分で持つことはできます。)

価値

川は、人の生活の役に立ちます。役に立つとは、それを利用する側(人)から見た評価です。つまり利用価値のことです。

では、利用者を抜きにして、そのもの自体がもつ本来的な価値について考えてみましょう。例えば、ダイヤモンドはどうでしょう? ダイヤモンドは本来的な価値があるかもしれません。

人からみたらダイヤモンドは価値があります。でも、ライオンからみたらダイヤモンドは価値はありません。 人やライオンを抜きにして、ダイヤモンド自体がもつ本来的な価値とはなんでしょう? 考えに行き詰ってしまいます。 価値とは、あくまで利用者からの評価(=利用価値)です。本来的な価値というものはそもそもないのです。

生きる価値、という言葉もよくつかわれますが、やはりこれも、他人から見た利用価値のことです。他人を抜きにした、その人自身がもつ本来的な価値というものはそもそもないのです。

(注:「自分は生きていていいんだ」と価値を自分で感じることはあります。この感情は自己肯定感と呼ばれるものです。)

生き方

「こういう風に生きて行きなさい」「こういう生き方をしなさい」などと言われることがあります。生き方、生きて行くやり方、生きる時のルール、そのようなものも、本来的なものそもそもありません

ルールは何かの目的があって成り立ちます。(例えば、交通を円滑にするという目的のために、「信号を守らなければならない」というルールが定められます。) 生きることの本来的な目的というものはそもそもありませんから、本来的な生き方そもそもありません

アイデンティティ

本来的な生きる意義目的価値生き方そもそもないのですから、川のように淡々と生きたら良さそうなものです。ところが、川と違って人には本能があり気持ちがあり「意義、目的、価値を持った生き方をしたい」と感じてしまいます。

次は『アイデンティティ』を読んでください。


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