特別な存在

画家のゴッホは、生前は売れない画家で、死後に有名になりました。ゴッホは、自分が描きたい絵を描きました。その絵は、その時代の人々が好む絵ではありませんでした。そして、その絵は、後の世の人々が好む絵でした。

自分の画風を曲げて、世間が好む絵を描いた人もいたでしょう。その人は、自分の描きたい絵を描きたかったのではなく、自分の書いた絵を売りたかったのです。

どちらが良い、どちらが悪いという話ではありません。どちらも、環境や状況を踏まえた上で自分で判断し、自分が好ましいと思ったこと、つまり好きなことをしただけです。

例えば、自分の描きたい絵を突き通し、その家族が苦しい生活だったという人と、作風を曲げて売れる絵を描き、家族が充実した生活を送ったという人と、どちらが良いのでしょうか?

また、苦しい生活を送っていた家族が、描かれた絵を素敵だと思い、誇りに思っていたらどうでしょう?

どちらが良い、どちらが悪いという話ではありません。人は皆(色々考えたうえで)好きなことをするのです。

自分の描きたい絵を描く人は、家族やお金は二の次で、自分の描きたい絵を描くことが好きなのです。

家族のために絵を売りたい人は、自分の作風は二の次で、売れる絵を描くことが好きなのです。

好きなことをする

本人としては、ただ好きなことをしただけです。その好きなことが、たまたま時代に合っていれば、偉人、成功者として世間から高い評価を受けます。評価は周りが勝手にするのです。偉人、成功者は、特別な存在ではありません。

背の高い人、足の速い人、力の強い人、記憶力の良い人、考察力のある人、これらは人の個性です。人には色々な個性があります。個性の違いによって、できること、できないことには、違いがあります。とは言っても、本人としては、ただ好きなことをしただけです。

特別な何かになろうとする必要はありません。ただ好きなことをするだけです。

必要なこと

好きなことをするというのは、それだけをするという意味ではありません。大人なら生きていくためのお金を稼がなければ、好きなことをできません。例えばスポーツならば、引退した後にどう生きるかを考えておかないと、安心して打ち込むことができません。他人にやさしくないと、共にがんばる仲間がいなくなります。好きなことをするために必要なことも、好きなことのうちです。


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